宮城県大崎市鳴子温泉 後藤漆工房「鳴子漆器」
鳴子漆器は380年の歴史の持つ宮城県の指定伝統工芸品で、現在の伝統工芸士数は推定6名程度とされている。そのひとつの「後藤漆工房」の後藤常夫さんを訪ねた。工房は、鳴子温泉郷の中心部にある。鳴子こけしや漆器の商店が軒を並べ、町のいたるところから湯煙があがっている。
後藤さんは、鳴子漆器の職人の2代目。20歳で独立してこの道47年の大ベテランだ。その手先には漆の色がしみこんでいる。
漆の仕事を見せて欲しいというと、まずは小さな板をみせてくれた。この板は17歳から20歳までの修業の3年間、昼に製品を作る傍ら、夜の空いた時間に基礎を叩き込む修業をした証だという。
「普通のひとから見ると普通の板にみえるかもしれないけど、この板に下地でも何でも、全ての基本が入っているの。たかが板っていうんだけど、最初はそれで教えることにしてんの。ぴちっと下地をして、角もぴちっとしないとね。角は一番大事なんですね。手で触って引っかかるようではダメです。板をやれば、基礎ができているかわかるんです。
うまい(器用な)人は最初はいいけど、やっぱりあとでボロがでるから。基礎を覚えれば後でどんなことがあっても、後で自分の頭で考えればなんでもできっちゃ。」
鳴子漆器自体は、江戸時代の初期にこの地域を支配していた領主が、地元の漆器職人と蒔絵職人を京都に修業にやって、鳴子漆器の振興を図ったとされているが、聞くと後藤さんは秋田に入って修行を積んだという。
「秋田の漆器というと川連漆器のことを言いますけど、私の場合は生駒先生というその筋では有名な人がいて、運よくそこさ奉公したったから、私はそこの先生について勉強できたんです。昔は徒弟制度だったっちゃ。行くときは、みんなにもう休みは盆と正月しかないというものといわれたけども、うちの先生はどっちも芸大出身の先生だったから、おじいちゃんも、先生も。当時私は昭和37年に秋田にいったんだけど、毎週休みでびっくりしました。そして小遣いだって、もらったからね。その当時で二千円もらったから。いまでいったら何ぼだかわかんないけどね。そいつはすごかったね。うちにかえってきたら、みんなびっくりしてました。」
そうして、銀と黒のポップな柄を大胆にあしらった盆を見せてくれた。同行したスタッフから驚きの声が上がる。鳴子漆と生駒漆。二つの伝統工芸の中で仕事を重ねた後藤さんの作品は予想以上に自由だ。
「私たちはほとんど普段は日用品をつくってるんです。でもそれではつまらないので、自分の好きな仕事させてくれといって、ご飯食うための仕事は3ヶ月、4ヶ月休んで、自分の好きな仕事してます。それでないと、おもしく(面白く)ないのさ。だから、人の考えないようなことやってきたね。」
このあたりの温泉旅館では、昔はどこでもなる子漆器で食事を出したそうだが、最近では「漆風」のプラスチック製の器が用いられているという。自動洗浄機は使えないし、手入れや保存に手間がかかるからだ。「時代にあったものを作らねば」と後藤さんは語る。
伝統技術は保存されるだけではなく、新しいものとの融合によって引き継がれ、私たちの心を打つのだ。伝統技術と斬新なアイデアを掛け合わせた後藤さんの作品は、触れればその仕事のすばらしさが良くわかる。日用品にとどまらず、新たな漆の形を生み出そうと挑戦的な仕事を続ける気概に触れ、「伝統」の本質を体感した訪問であった。
平辻 里佳